書籍は本当に最新の世間をとらえられるのか?
どうしても書籍からだと最近の世間の行動をとらえられていないように感じてしまう。 よく書籍ではネット社会と表現されているが、今では「ネット社会」というよりは「ユビキタス社会」というべきなのではないかと思う。
iPhoneが日本に普及したのは2011年あたり、広く浸透するのに二年かかったと計算すると、2013年あたりだろう。 そこから原稿を書いて出版されるとなると更に半年かかる。よってiPhoneが普及し生活の基盤になることが書かれているという現状を知るにはまず2013年下旬より後の本になる。
そのため論文をそのまま引っ張ってくるのが正解なのかもしれない。 懸賞論文を書こうと思ったのだが結局なにも手につかないまま夏休みが終わりになろうとしている。 今回はもう書けないが、いずれ書くことを信じて参照できそうな論文だけは探しておこうと思う。 幸いノートパソコンはあるのでメモをしつつマイペースに情報をまとめれば、卒業論文には使えるのではないだろうか。
2017年8月28日9:13:34
2017年12月25日誤字修正。
続きを読む幽霊の娯楽化、それによって起こること。
びすこ氏とpodcastの収録をした。普段は幽霊の話をしないのだが、久々におもしろい記事を見かけてしまったため 思わず話してしまった。
自分は幽霊を見たことはないし怪奇現象に会ったことはないが、幽霊を信じている。 そのため収録中にノイズが突然発生したときは本当にびっくりしてしまった。びすこ氏は親の影響で幽霊そのものよりも それにまつわるエピソードがトラウマになっていたらしく、それを払拭するために幽霊のことについて調べていき、 その過程で幾多もの幽霊と出会ったと語っていた。
よくマスコミが面白半分に幽霊を取り上げ、また番組によってはねつ造までしており、昔は言語道断だと憤慨したものだが、 びすこ氏の話を聞いた後だとエピソードから解放されるためには一応有効な手なのかもしれないと感じた。 そのものへの恐怖、または畏怖に変化できることで自分のトラウマを消化できる。そう考えるとマスコミによる幽霊の娯楽化というのも一概に悪いとは言えないのかもしれないと感じた。
2017年8月26日1:49:39
継続ができないことについて(8月版)
自分はどうにも継続というものが苦手なようで、今まで続けていたものをすぐにほっぽり投げてしまう癖がある。 熱狂的な「オタク」になれないのだ。
強いて言えばTwitterを続けていることにはなるが、あれはTwitterというコンテンツに固執しているのではなく、あくまでもTwitterを用いた情報収集及び私見を述べるツールとして活用しているに過ぎないため、 それを継続といえるのかは甚だ疑問であると言わざるを得ない。
興味深いものは意外に簡単に見つかるもので、折り紙や縫物、 お手玉といったオフラインでできるものにも比較的興味を持っているのだが、継続して続けることができるかと言われると 即座にはいと答えられないのが辛い。たびたび述べているが、物事を続けるというのは一種の才能であり、努力ではどうにも ならないのではないかと心配している。
自分のパソコンに自分が昔挑戦しようとした色々なファイルの残骸が散乱しているのはこのためだろうか。 早急に治す気はないし、今後もこれは治らずあまり充実した日々は送れないだろうと感じた。
2017年8月24日 0:59:33
2017年12月24日校正。
ヒカル事件から見るネオヒルズ族について。
派手な資金繰りを売りにするYoutuberにヒカルという男がいた。
彼がインサイダー取引で炎上しているのだが、 過去には情報商材にまで手を出していたらしい。
要するに他人の幸せを吸い取って生きていた人なわけだが、 はたして詐欺以外も胸を張って誇れるものなのかと疑問に思ってしまう。
資本主義にいる以上、他人の幸せを奪い取っている。
2017年8月23日 1:33:45
201712月24日追記。
結果として彼は復活することになり、いまだに情報を精査せず消費し続ける層をメインターゲットに動画を投稿し続けている。
自分はこの件とは全く関係がない場所にいたし、今後も多分見ることはないだろうけれど、別のジャンルでは自分も消費者として幸せを吸い取られる層に回っているのだと思うと憂鬱な気分である。
論拠と主張の話。
世間一般にはさまざまな主張があり、自分も多分に漏れず主張を行っているが、その中で大事となってくるのが論拠だろう。
何かしらの状況があり、それは主観だけでなく事実として不当であり、それに対し主張するというパターンが多い(論拠なし) 。
それにあたり、言いたい状況が「事実」だと他の人にも伝えるときに必要なのが「論拠」である。 しかしながら残念なことに論拠がない主張は後を絶たない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakajimayoshifumi/20151222-00052686/
これは単なる一例なので取り上げたに過ぎないが、ここで言われているように 論拠を提示しなければその人の主観評価でしかないといわれかねないのだ。
それがたとえ事実だったとしてもだ。 自分も性的マイノリティに関する主張を行うことが多々あるため、この点は注意しつつ何かしらの真面目な話題 の時は論拠を提示しながらやるように気を付けるべきだろう。
2017年8月22日 8:13:13
このブログの存在意義とこれからの方針について
今までPCに日記を黙々と書いていたのだが、さすがにモチベーションが下がってきたので少しずつこっちに転載していこうと考えた次第。
今後は少しずつ転載したり、こちらに書いてから日記にコピペしたり、
大学内で考えたことの文章をこっちに書いたりしようと考えている。
ブログという形態をとるわけだから一応ブログとして読みやすいように努力しようとは思う
。
以上。